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2014年3月2日 高額学費だけではない大学教育に対する攻撃 [雑誌経済]

 久しぶりの投稿です。最近はFaceBookが中心になってしまいましたので。ですがFBでは友達の投稿に「いいね」するだけの日々です。またFBでも「ノート」の機能があり、まとまった意見をかけるのです。でもせっかくブログを開設しているのですから、こちらに書くことにしました。

 新日本出版社発行の雑誌「経済」からの紹介。巻末に近い「情報&交流」欄の記事です。タイトルは「経済学分野の参照基準」問題ー7つの経済学会が反対表明です。以下引用します。

 08年12月、中央教育審議会が「学士力」の向上をうたった「学士課程提言」を行なった。大学の授与する学位には一定の「基準」(質保証)が必要というもので、大学教育の内容に国が関与する方向に「大きく一歩踏み出したもの」と言われている。
 08年5月、日本学術会議に「大学教育の分野別質保証の在り方に関する審議について」を依頼。日本学術会議は10年7月、回答「大学教育の分野別質保証の在り方について」をとりまとめ、学術会議が分野別の教育課程編成上の参照基準を策定することを提案した。その原案は?

 13年11月、日本学術会議の「経済学委員会・経済学分野の参照基準検討分科会」は、「経済学分野の参照基準(原案)」を公表した。
 この「原案」では、いわゆる近代経済学の「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」(および統計学)を、基礎科目とすることがうたわれている。・・・・

 原案の考え方は、「歴史・制度・思想などは副次的要因にすぎないという新古典派的な経済学観が自明なものとして想定され」(「全国教員署名」の呼び掛け)、「ミクロ経済学」「マクロ経済学」という特定の経済学をいわば官許の経済学とし、18世紀以来の伝統的な政治経済学(マルクス経済学も含む)は排除するというものといえる。

 これでは、大学における経済学教育は、基礎・応用科目のカリキュラムから学習方法、スタッフにいたるまで、ミクロ・マクロの近代経済学が基本ということになりかねない。・・・・ -引用終わり

 ところで今までの「経済学」の流れは次のようです。

 ホッブズ、ペティ、ロックに始まりスミス、ケネー、リカードーで完成される古典派経済学、これを科学的な探求と評価したマルクスがさらに発展させ「資本論」を完成させました。さらにレーニンはその「帝国主義論」で資本論での解明を発展させました。リカードーからはケンブリッジ学派が誕生し、ミル、マーシャル、ピグーなどがおります。

 またマルサス、セーからはケインズ、のちのポスト・ケインジアンに引き継がれます。もっともケインズはセーの「供給はそれ自身の需要を創造する」という「セーの法則」を否定しましたが。

 新古典派といわれるのはジェボンズ、ワルラス、メンガーの「限界革命」に始まり、パレート、ベーム・バベルク、など。そしてハイエク、フリードマンなどの新自由主義に至りました。(以上は平野喜一郎さんの「資本論を学ぶ人のために」より)

 マルクスは他の経済学について次のように述べています。(資本論第一巻第一編第一章第四節の注32)
 「私が古典派経済学と言うのは、ブルジョア的生産諸関係の内的連関を探求するW・ペティ依頼のすべての経済学をさし、これにたいして俗流経済学と言うのは、外見上の連関のなかだけをうろつき回り、いわばもっとも粗雑な現象のもっともらしい解説とブルジョア的自家需要とのために、科学的経済学によってとうの昔に与えられた材料を絶えずあらためて反芻し、それ以外には、自分たち自身の最善の世界についてのブルジョア的生産当事者たちの平凡でひとりよがりの諸観念を体系づけ、学問めかし、永遠の真理だと宣言するだけにとどまる経済学をさしている。」

 これを読むと、昨年6月ごろに放送されたNHKの日曜討論を思い出します。華々しく登場した「アベノミクス」とその効果を宣伝しようと、竹中平蔵や金融機関研究所のエコノミストが出席していましたが、根拠不十分な予測と同時に庶民にとってどうなのか、などはお構いなしの議論(?)で、殆ど視聴者には理解不能な発言でした。司会者までもが「理論的(?)なお話ですね」と言う始末。先のマルクスのいう「俗流経済学」の体すらなしていないものでした。

 私はマルクス経済学だけを教えろとは言いません。むしろさまざまな学派を選択出来ること、その相互の交流を望みます。私自身、他の古典派経済学者を読むことによってマルクスをより深く理解出来ると思っています。大学での教育は、経済学に限らず、その後の長い研究の出発点にすぎないものであり、経済学にしても他の分野にしても、4年間で学べるのは研究の方法でしかないと思います。今回の中央教育審議会の動きは学問研究と学生を狭い枠に嵌め、何か短期的な成果を出せるかどうかで学問を評価することであり、断じて認めるわけにはいきません。

 意見、要望書を出した経済学会は次の通り
 経済理論学会、進化経済学会、経済教育学会、基礎経済科学研究所、社会経済史学会、経済学史学会、日本フェミニスト経済学会 それぞれのHPを参照して下さい。

 こうした動き以前に東京都立大学、現首都大学ではマルクス経済学者の排除が石原都知事時代から進んでいる、ということを知りました。許せないことですが、先に書いたように大学教育は研究方法を学ぶ場と理解すれば、働きながらでも学ぶ覚悟が必要でしょう。


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