5月24日 資本論第一章第三節 価値形態または交換価値 [資本論]

前回の第二節アップから、又時間が立ってしまいました。今回、この第三節も途中で終わることになりますが、ノート・パソコンで書き終わったところまでアップします。又、今回より、資本論からの引用は新日本出版社判からにします。引用は「 」で括り、その前の( )にはそのページ数と行数を記入しています。それでは!

  さて難しい節にかかりました。当のマルクス自身こう言っています。「第三節の価値形態論を別とすれば、本書を難解だと批難することはできないであろう」と。また、青木書店版資本論の翻訳者であった長谷部文男さんは、その著「資本論随想」で、価値形態論について「噛み砕くには前歯が折れそう」(資本論レジュメ集)と書いているそうです。
 初めにこの節を概観してみましょう。この第三節は、ページ数にしても、第一節、第二節の倍もあるのに気がつきます。

 第三節 価値形態または交換価値          (80~)
      導入の文章があります。
  A 簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態
      20エレのリンネル=1着の上着
   1 価値表現の両極 相対的価値形態と等価形態
   2 相対的価値形態
    a 相対的価値形態の内実
    b 相対的価値形態の量的規定性
   3 等価形態
   4 簡単な価値形態の全体           (~106) 全27頁
  B 全体的な、または展開された価値形態      (107~)
      20エレのリンネル=1着の上着の他に種々の商品の等価形態が現われる
   1 展開された相対的価値形態
   2 特殊的等価形態
   3 全体的な、または展開された価値形態の欠陥  (~111) 全5頁
  C 一般的価値形態               (111~)
      Bで相対的価値形態であったリンネルが等価形態になり、等価形態であった種々の商品が
      相対的価値形態にと、ひっくり返される。
   1 価値形態の変化した性格
   2 相対的価値形態と等価形態の発展関係
   3 一般的価値形態から貨幣形態への移行    (~119) 全9頁
  D 貨幣形態                  (119~121) 全3頁
      Cで等価形態であったリンネルが金に置き換えられる。

 見られるように、この第三節は、全部で42頁ですが、 初めからAの終わりまで、なんと27頁を費やしています。Aの1、価値表現の両極の初めの文章はこうなっています。
(82ー15)「すべての価値形態の秘密は、この簡単な価値形態のうちに潜んでいる。だから、この価値形態の分析には真の困難がある」、ということですから、この部分をなんとかクリアー出来れば、あとは簡単そうに見えます。この節をスルーしたくなる気持ちを抑えて、立ち向かってみましょう。
 そもそもこの節の課題は何でしょうか?

(81ー5)「商品の価値対象性は、どうつかまえたらいいかわからない・・・商品の価値対称性には一原子の自然素材も入り込まない・・・それは価値物としては、依然としてつかまえようがないものである。」
(81ー9)「・・・商品の価値対象性は純粋に社会的なものであること、を思い起こせば、それが商品と商品との社会的関係においてのみ現れうるということも、おのずからあきらかである。・・・われわれは、諸商品の交換価値または交換関係(諸商品の社会的関係)から出発して、そこに隠されている諸商品の価値の足跡をさぐりあてた(第一節、第二節)。いまや、われわれは価値のこの現象形態(価値形態または交換価値)に立ち返らなければならない。」
 第一、第二節の商品の分析の中で、使用価値と価値を見いだしました。そして使用価値を作り出す同じ労働が、具体的有用労働とともに、抽象的人間労働という二重の性格を持ち、その抽象的人間労働(そしてその平均労働)によって、商品に価値を凝固させるということでした。しかしまだ、このままでは依然として、価値は商品に凝固していると言いうるのみで、その価値の形態が如何なるものか、そして私たちの目に見えるものになっていません。

(82ー1)「だれでも・・・諸商品がそれらの使用価値の種々雑多な自然形態とはきわめていちじるしい対象をなす一つの共通の価値形態、すなわち貨幣形態をもっているということは知っている。」
 「しかし、いまここでなしとげなければならないことは、ブルジョア経済学によって決して試みられることもなかったこと、すなわち貨幣形態の発生を立証すること、すなわち、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展を、そのもっとも簡単なもっともめだたない姿態から、目をくらませる貨幣形態にいたるまで追跡することである。それによって、同時に、貨幣の謎も消えうせる。
 商品世界では、どの商品に対しても共通に価値を表わす貨幣があることは、皆知っています。しかし、この第三節では、交換関係に立ち戻り、貨幣形態が発生する論理を追跡・究明すること、それによって貨幣が何であるか、何故貨幣はすべての商品の価値を表せるのかを、明らかにすることが課題となります。

(82ー11) A 簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態
      20エレのリンネル=1着の上着
      20エレのリンネルは1着の上着に値する。

 簡単な、個別的な、というのは2種の商品による価値表現であること、偶然的というのは、この2種の商品の関係がたまたま生じたことであること、です。リンネルと上着とせずに、机と包丁でも良いのです。つまり未だ社会的に統一的な価値表現が生まれていない状態を想定しています。
 次にみるように二つの商品の価値表現の、その関係性の内部で、どのような論理が働いているのかを考察するところから始まります。

(82ー14) 1 価値表現の両極ー相対的価値形態と等価形態
 この簡単な価値表現において、’=’、あるいは、’値する’で結ばれたリンネルと上着は、担っている役割が違います。左辺のリンネルは自分の価値を表現するのに右辺の上着を使っています。この左辺のリンネルは「相対的価値形態」にあります。対する右辺の上着はリンネルに価値物として、価値表現を与える役割を果たしています。この右辺の上着は「等価形態」にあります。
 この場合、等価形態にある上着は、この価値関係のなかでは、同時に相対的価値形態であることは出来ません。相対的価値形態にあるリンネルも同時に等価形態であることは出来ません。上着が相対的価値形態であるためには、先の等式をひっくり返して、1着の上着=20エレのリンネルとしなければなりません。マルクスはこう言っています。
(83ー7) 「相対的価値形態と等価形態とは、同じ価値表現の、互いに依存し合い、互いに制約し合う、不可分の契機であるが、同時に互いに排除し合う、あるいは対立し合う、両極端、すなわち両極である。」
 「互いに依存し合う」というのは、一商品は、他の違う一商品と出会い、その商品を等価形態とすることによって、自己の価値表現を行うときに、初めて相対的価値形態となるという事。「互いに排除し合う」というのは、同じ価値表現では、等価形態は同時に相対的価値形態であることは出来ない(その逆も同じ)、という事です。というのも、くどいようですが、この等式で自己の価値を表現しているのは、相対的価値形態であるリンネルだけだからです。
 またこの節では、あくまで「価値表現」が問題になっており、「交換」が成立したことを意味していません。この簡単な価値表現では、交換が成立した途端に、リンネルと上着は、価値表現の両極である、という意味、それぞれの役割を消滅させてしまいます。

(84ー10) 2 相対的価値形態
 a 相対的価値形態の内実
(84ー12)「ある一つの商品の簡単な価値表現が二つの商品のうちにどのように潜んでいるかをみつけ出すためには、この価値関係を、さしあたりその量的関係からまったく独立に、考察しなければならない。」
 考察の初めには、相対的価値形態とは何か、又、等価形態とは何かを、量的関係を度外視して考察しましょう、と言う事です。左辺と右辺、各々の担っている役割を考察するうえでは、それらの量的関係は無視できるし、無視しなければなりません。
●回り道の論理
 この簡単な価値表現では、相対的価値形態のリンネルは、上着の具体的な体、使用価値としての上着の姿を使って、自分の価値を表現しています。対する等価形態の上着は、自らの体を価値として顕現させられ、リンネルに価値表現を与えます。そのことによってリンネルは価値物であることを実証します。つまり、リンネルは上着の体に価値物としての役割を押し付け、その上着と等値されることによって、自らを価値物として表わすのです。言わば、上着という回り道をして、リンネルは価値物として現われるのです。またここで表現されているのはリンネルの価値であり、上着の価値ではありません。
 このことを労働に二重性の観点から言うと、次のごとくです。
(86ー13)「上着が、価値物としてリンネルに等値されることによって、上着に潜んでいる労働がリンネルに潜んでいる労働に等値される・・・織布(リンネル)労働との等値は、裁縫(上着)労働を、両方の労働の中の現実に等しいものに、(抽象的)人間労働という両方に共通な性格に、実際に還元する。こうした回り道を通ったうえで、織布(リンネル)労働も、それが価値を織り成す限りにおいては、裁縫(上着)労働から区別される特徴を持っていないこと、すなわち、抽象的人間労働であること、が語られるのである。
 二つの商品が、価値表現として等値されるとき、そこではそれぞれの具体的な労働が捨象され、価値を形成する抽象的人間労働が現われるのです。

●商品の「自然形態(使用価値)」が価値を表わすものとなる。
(88ー2)「リンネルの価値関係のなかで、上着が、リンネルに質的に等しいものとして、同じ性質をもつ物として、通用するのは、上着が一つの価値だからである。だから上着は、ここでは、価値がそれにおいて現われる物として、または手でつかめるその自然形態(使用価値)で価値を表わす物として、通用する。」
(88ー13)「リンネルとの価値関係の中では、上着はただこの面(価値の担い手という面)だけから、それゆえ、体化された価値としてのみ、価値体としてのみ、通用する。ボタンをかけたよそよそしい上着の外観にもかかわらず、リンネルは、上着のうちに同族のうるわしい価値魂を見てとったのである。」
 先に価値表現が課題であり、交換は考慮外と述べました。この文章はその立場で読まないと理解できないと思います。キーワードは「通用する」です。簡単な価値表現では、リンネルの価値を、上着が価値物であることによって表現しますが、上着という具体的有用労働が作り出した使用価値でもって姿を現します。つまりリンネルの価値を表現するときには(交換ではなく)、何時でも上着の姿(使用価値)をもって表現できるようになった(通用する)と言う事なのです。

(91ー5) b 相対的価値形態の量的規定性
 a の相対的価値形態の内実では、相対的価値形態、等価形態、それぞれの役割についての考察でした。したがって、それぞれの商品の量については捨象していっこうにかまわない性格の考察でした。
 しかし実際には、商品は、必ずそれぞれの量を持っています。リンネルはエレという単位で、又上着は着という単位でその量を表します。そこで次には、価値表現の両極において、生産力の変動を考慮した時に、価値表現における量が、どのような影響を受けるかを考察します。生産力の変動の原因についての具体的な記述は、本文を参照して下さい。
 また、言うまでもないことですが、相対的価値形態、等価形態それぞれの商品は、生産力が上がれば価値が減少し、生産力が下がれば、価値は増加します。

1. リンネルの価値は変動するが、上着の価値は不変のままの場合
 Aの等式において、リンネルの価値が上下する場合、等価形態の上着の価値は、リンネルの価値に正比例して上下します。
   リンネルの価値が2倍になった場合 20エレのリンネル=2着の上着
   リンネルの価値が2分の1になった場合 20エレのリンネル=2分の1の上着
2. リンネルの価値は不変であるが、上着の価値が上下する場合
 この場合は1と逆で、同じ20エレのリンネルを価値表現するとき、等価形態の上着の価値は、その価値に反比例して
 上下します。
   上着の価値が2倍になった場合 20エレのリンネル=2分のⅠの上着
   上着の価値が2分のⅠになった場合 20エレのリンネル=2着の上着
3.リンネルおよび上着の価値が、同時に同じ方向に、同じ比率で上下する場合
   この場合は、20エレのリンネル=1着の上着のままです。
4. リンネルおよび上着の価値が、同時に同じ方向に、しかし等しくない程度で変動するか、あるいは反対の方向に
 変動する場合
   この場合は、1から3の応用で簡単に分かります。

ですから、このbにおけるマルクスの結論は、

(94ー3)「こうして、価値の大きさの現実的変動は、価値の大きさの相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にも余すところなしにも反映されはしない。 一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままでも、変動しうる。一商品の相対的価値は、その商品の価値が変動しても、不変のままでありうる。そして最後に、一商品の価値の大きさと、この価値の大きさの相対的表現が同時に変動しても、この変動が一致する必要は少しもない。」

大変、残念ながら今回はここで終了です。3の等価形態は、現在ノートパソコンで書いたり修正したりと奮闘中というところです。それにしてもその先も難しいなー。特に第四節は!

尚、この第三節、 長すぎることは別として今後訂正がありえます。どこかに誤りが潜んでいるような気がしてしようがありません。ですから、必ず原典に当たって下さい。ご意見を頂ければ幸です。


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