8月9日 資本論第一章 第三節 価値形態または交換価値 続き [資本論]

 資本論読解を再開します。資本論カテゴリーの直近の記事が5月24日付ですから、だいぶほったらかしにしてしまいました。まぁー、私の覚えのために書いているので、困る人は誰もいないと思いますが?

前回の続きですが、第三節、Aの3 等価形態です。

 さて初めに、もう一度簡単な価値形態の等式を掲げておきましょう。
    20エレのリンネル(商品A)=1着の上着(商品B)
 この簡単な価値形態の中で、等価形態にある商品B、上着はどのような特徴をもつことになるのか? これがこの項の課題です。

 その前に、今までに解明したことを簡単に振り返っています。
(95ー6)「われわれは次のことを見てきた。1.一商品A(リンネル)は、その価値を種類を異にする一商品Bの使用価値(上着)で表現することによって、商品Bそのものに、一つの独自な価値形態、等価物という形態を押し付ける。2. リンネル商品は、上着が、その身体形態とは異なる価値形態をとることなしに、リンネル商品と等しいとされることにより、それ自身の価値存在を外に現す。したがって、リンネルは、・・・それ自身の価値存在を表現する。3. したがって、一商品の等価形態は、その商品の他の商品との直接的交換可能性の形態なのである。」
 簡単な価値形態における等価形態は、貨幣形態の萌芽という事です。

 次に等価形態の「第一の独自性」への橋渡しとして、次の文章があります。
(96ー4)「しかし、上着という商品種類が価値表現において等価物の位置を占めるやいなや、この商品種類の価値の大きさは、価値の大きさとしてのなんらの表現も受け取らない。この商品種類は、価値等式においては、むしろただ一定分量の物の役をつとめるにすぎない。」
 冒頭に掲げた等式のなかで等価形態にある商品は、価値物でなければならないのですが、その価値量は表せないでです。加えて一定分量の物、と言っています。等価形態にある上着の体でもって、リンネルの価値を表現するのです。

●等価形態の第一の独自性
(96ー16)「等価形態の考察にさいして目につく第一の独自性は、使用価値がその反対物の、価値の、現象形態になるということである。商品の自然形態が価値形態になるのである。」
 上着そのものは価値を持っています。しかしこの価値表現の中で、等価形態という役割を担わされた時には、あくまで相対的価値形態にある商品、リンネルの価値を、その身体、使用価値で表現するのです。使用価値が価値の現象形態になるのです。
 どんな商品もそれ自身として、価値を表わす事は出来ず、他の商品を等価形態にすることによってしか価値を表現することは出来ない、という事はさんざん見てきたところです。ここでマルクスは理解を助ける例えを述べています。棒砂糖の重量を測るために、その重量が規定された鉄片をもって測る、という例です。
(97ー7)から(98ー4)まで、要約すると
 棒砂糖があり、重さがあるが、その重量が分からない。そこで重量が分かっている鉄片をいくつか用意して、天秤の片方に棒砂糖、もう一方に天秤が吊り合うまで鉄片をのせていく。吊りあった時の鉄片の重量が、棒砂糖の重量ということになる。価値表現で言えば、棒砂糖が相対的価値形態、鉄片が等価形態ということになります。
 鉄片は、この関係の中では重量の尺度としての役割を担います。但し類似はここまで、ともマルクスは述べます。と言うのも価値は超自然的属性であり、純粋に社会的なものだからです。リンネルの価値は個別の労働時間ではなく、社会的平均であることを思い出せばわかるでしょう。

●等価形態の謎的性格
(98ー8)「一商品、たとえばリンネルの相対的価値形態は、リンネルの価値存在を、リンネルの身体およびこの身体の諸属性と完全に区別されるものとして、たとえば上着に等しいものとして表現するのであるが、そのことによって、この表現が一つの社会的関係を秘めていることを、この表現そのものが暗示している。」
 リンネルは上着を等価形態に置くことによって、自分の価値を表現するのですが、このことでリンネルは独自の使用価値を持つ物としてだけでなく、価値をもつものとして社会的なものである、という暗示を受けとります。しかし・・・
(98ー11)「等価形態については逆である。等価形態とは、まさに、ある商品体、たとえば上着が、このあるがままの物が、価値を表現し、したがって、生まれながらにして価値形態をもっている、ということなのである。確かに、このことが通用するのは、ただ、リンネル商品が等価物としての上着商品に関連させられている内部でのことにすぎない。・・・上着もまた、その等価形態を、直接的交換可能性というその属性を、・・・生まれながらにしてもっているかのように見えるのである。」
 上着は一商品としての使用価値として、衣類としての属性、人を暖かく包むなどの属性をもっています。しかし等価形態という役割を担うとき、それら固有の属性だけでなく、あたかもリンネルの価値を表現するという属性を本来的にもっているようにみえるようになるのです。これが謎的性格です。

●等価形態の第二の独自性
(100ー14)「具体的労働がその反対物の、抽象的人間的労働の現象形態になるということが、等価形態の第二の独自性である。」
 これは、第一の独自性の労働の観点からの言い換えです。使用価値を作る具体的有用労働が、価値を形成する抽象的人間的労働の現象形態になる、ということです。この指摘によって第三の独自性が導かれます。

●等価形態の第三の独自性
(100ー16)「裁縫労働(上着を作る)というこの具体的労働が、区別のない人間的労働の単なる表現として通用することによって、それは、他の労働、すなわちリンエルに含まれている労働との同等性の形態をとるのであり、したがってまた、それは、商品を生産する他のあらゆる労働と同じく私的労働であるにもかかわらず、しかも直接に社会的な形態にある労働なのである。」
(101ー3)「したがって、私的労働がその反対物の形態、直接に社会的な形態にある労働になるということが、等価形態の第三の独自性である。」
 各々の商品は、私的生産者が市場で売るために作られます。それらの商品は私的労働によって作られます。等価形態にある上着もこの点で同様です。しかしこの価値表現の中では、上着を作る労働は、他の労働と同じであるという形態を受け取る、すなわち社会的労働という形態を受けとるのです。

●アリストテレスの天才と挫折
 5台の寝台=1軒の家
 この等式の中に、アリストテレスは何らかの同等性があることを見抜きました。しかし彼の生きた時代の制約で、この同等性の、量的に比較できる抽象的人間的労働を見いだすことが出来ませんでした。マルクスはアリストテレスの天才を賞賛しながら、彼の生きた時代が奴隷制社会であったことで、価値概念に到達出来なかった、とします。

4. 簡単な価値形態の全体
(105ー2)「商品B(等価形態)にたいする価値関係に含まれている商品A(相対的価値形態)の価値形態を立ち入って考察してみると、この価値表現の内部では、商品Aの自然形態はただ使用価値の姿態としてのみ意義をもち、商品Bの自然形態はただ価値形態または価値姿態としてのみ意義をもつ、ということがわかった。したがって商品のうちに包み込まれている使用価値と価値の内的対立は、一つの外的対立によって、すなわち二つの商品の関係によって表わされ、この関係の中ではそれの価値が表現されるべき一方の商品(相対的価値形態)は、直接にはただ使用価値としてのみ意義をもち、これにたいして、それで価値が表現される他方の商品(等価形態)は直接にはただ交換価値としてのみ意義を持つ、したがって、一商品の簡単な価値形態は、その商品に含まれている使用価値と価値の簡単な現象形態なのである。」
 簡単な価値形態のまとめとなっていますが、長い文章ですね。自然形態という語は、簡単な価値形態の中でのこと、と理解しないと分かりにくいです。というのもリンネルも上着も単純に「自然形態」と言えば、感性的に認識できるそれぞれの身体、使用価値でしかないからです。
 そこで注意深く読むと、商品A(相対的価値形態)の自然形態は使用価値の姿態、商品B(等価形態)の自然形態は価値形態または価値姿態、としての意義を持つと言っています。商品Aは使用価値として、この価値関係に入る、商品Bは価値物、価値姿態として、この価値関係の中で役割を果たす、ということでしょう。
 また、この価値関係のなかでは、一商品に含まれていた使用価値と価値が、二つの商品による外的な対立として現象する、ということです。
(105ー10)「労働生産物は、どのような社会状態においても使用対象であるが、、労働生産物を商品に転化するのは、ただ、使用物の生産において支出された労働を、その使用物の「対照的」属性として、すなわちその使用物の価値として、表わす歴史的に規定された一つの発展の時期だけである。それゆえ、こうなるー商品の簡単な価値形態は、同時に労働生産物の簡単な商品形態であり、したがってまた、商品形態の発展は価値形態の発展と一致する、と。」
 労働生産物は、猿から人間に進化して以来、使用対象であり、使用価値でした。労働生産物が商品となるためには、抽象的人間的労働が生産物に対象化される社会の発展が必要でした。商品形態の発展は、価値形態の発展と一致する、ということは、簡単な価値形態は、物々交換の時代の価値形態といえるでしょう。
 しかし、この簡単な価値形態の不十分さはあきらかです。リンネルと上着の関係は、言わば閉じた関係です。上着はリンネルの使用価値から価値を分離する役割しか果たしません。リンネルが上着以外の商品との同等性を表わしはしません。しかし歴史的発展が、こうした閉じた関係を突破して行くことはあきらかです。こうして次の項、B 全体的な、または展開された価値形態へと進みますが、今回はここまでとします。 


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Kyawa

こんにちは!おじゃまいたします
ブログでの激励、ありがとうございます!
いまも、汗をふきふき、第2部、第5章を読んでいるところです^^;
とりあえず、少しずつでも先を読み進めればと考えています。
今後ともよろしくお願いします。
by Kyawa (2012-09-01 15:11) 

メタボ親父

ご訪問有難うございます。私が書くブログですから、不十分さがあるのはあたりまえですが、明らかな誤りがありましたらご指摘下さい。
でも書く作業のなかで理解の及ばないところが見えてくるようで、このブログも私にとっては意義あるものかも知れません。
それにしても資本論は巨大な書物ですね。こちらも汗と冷や汗をふきふき、頑ばります。またお越し下さい。
by メタボ親父 (2012-09-02 16:13) 

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