2月1日 資本論 第一章 第三節 B全体的な、または展開された価値形態 [資本論]

*以下、簡略化のため文中では、A簡単な価値形態を第Ⅰ形態、B展開された価値形態を第Ⅱ形態、C一般的な価値形態を第Ⅲ形態、D貨幣形態を第Ⅳ形態とします。又,商品Aは相対的価値形態にある商品とし、商品B(その他の商品)は等価形態にある商品とします。

 第Ⅰ形態は、多数の商品が交換されている社会、資本主義社会を前提にして、その中の任意の商品を二つ取り出し、それらの相互関係を分析したものでした。そこでは、商品Aは、使用価値としての姿態を持ち、商品Bはその感性的な姿態にも関わらず価値としての姿態を持つのでした。(このことについて新書版97ページに天秤量りを例にとったマルクスの見事な例えがあります。目に見えない重さという物の属性を測る際、重さの基準片である鉄のその重さだけが重要であり、その感性的な鉄の姿態は無視されるという事です)商品Aは、価値体としての商品Bと等値されることによって、その使用価値とは別の、価値を顕にします。つまり、第一節で分析された商品に内包されていた使用価値と価値が、二つの商品の対立によって外在化するのでした。

 今回の第Ⅱ形態、全体的な、または展開された価値形態では、第Ⅰ形態の文章の最後で「等価形態にある商品は何でも良い」として、次の様に表示されます。
   表現その1
    z量の商品A=u量の商品B または=v量の商品C または・・・であり、
   表現その2
    20エレのリンネル=1着の上着 または=10ポンドの茶 
           または=40ポンドのコーヒー・・・などです。
    また、この価値表現は次のように表わすことが出来ます。
   表現その3
    20エレのリンネル=1着の上着
    20エレのリンネル=10ポンドの茶
    20エレのリンネル=40ポンドのコーヒー
    20エレのリンネル=1クォーターの小麦

 つまり20エレのリンネルに対し、等価形態としてリンネル以外の商品全てが対応しています。リンネルを相対的価値形態とする価値表現が、リンネル以外の全ての商品を等価形態とするように展開されます。

1 展開された相対的価値形態
 第Ⅱ形態では、商品Aに対し、商品B(その他の商品)が等値されますが、全ての商品が価値表現に参加するため、社会的人間労働の凝固体としての価値が初めて全面的に現われます。こうして商品Aは商品社会の一市民として認められると共に、全ての商品価値が商品の具体的・感性的姿態とは区別されるものとして現われてきます。同時に交換によって商品同士の交換比率が規制されるのではなく、逆に価値の大きさが交換比率を規制する、ということが明白になります。(2月1日はここまで)(2月2日、一部修正)(2月4日、さらに修正)

2 特殊的等価形態
(109ー6)「上着、茶、小麦、鉄などという商品は、リンネルの価値表現においては、どれでも等価物として、それゆえ、価値体として通用する。これらの各商品の特定の自然形態は、いまや、他の多くの特殊的等価形態とならんで一つの特殊的等価形態である。同じように、さまざまな商品体に含まれる多様な特定の具体的有用労働は、いまや、ちょうどその数だけの、人間的労働一般の特殊な具現形態または現象形態として通用する。」
 この文章は、第一章を丹念に読んできた方には、これ以上説明を要しないでしょう。ただ続く文章でより明確になるのですが、特殊的等価形態とは何を意味するのか? という事でしょう。(2月2日、ここまで)

3 全体的な、または展開された価値形態の欠陥
(109-12)「第一に、商品の相対的価値表現は未完成である。なぜなら、その表示の列が決して完結しないからである。一つの価値等式が他の価値等式とつくる連鎖は、新しい価値表現の商品が登場してくるたびに、それによって絶えず引き続き延長されうるものである。」
 それぞれの等価形態は、それぞれ特殊なものであり、相互に関連のない表現である事になります。
   表現その3
    20エレのリンネル=1着の上着
    20エレのリンネル=10ポンドの茶
    20エレのリンネル=40ポンドのコーヒー
 以下、延々と続き、価値表現の連鎖となるだけで、相対的価値形態の価値表現は完成しません。新たな商品が加わればそれは、この連鎖に付け加わるだけです。
(109-14)「第二に、この連鎖は、ばらばらな、様々な種類の価値表現の雑多な寄木細工をなしている。最後にーー当然そうならざるをえないのだがーーどの商品の相対的価値もこの展開された形態で表現されるとすれば、どの商品の相対的価値も、他のどの商品の相対的価値形態とも異なる価値表現の無限の一系列である。」
 すなわち以下のようになります。
    1着の上着=20エレのリンネル
    1着の上着=10ポンドの茶
    1着の上着=40ポンドのコーヒー
      以下、延々と続く
    10ポンドの茶=20エレのリンネル
    10ポンドの茶=1着の上着
    10ポンドの茶=40ポンドのコーヒー
      以下、延々と続く
 言わばこれらの価値形態は、個別的価値形態を全ての商品に押し広げたものです。ここではすべての商品が価値表現に参加しており、それぞれの商品が独自に相対的価値形態をとることが出来ます。全ての商品が相対的価値形態をとるとすれば、それぞれそれ以外の商品を特殊的等価形態とし、第一の指摘と同じように価値表現は無限の連鎖となります。
(2月4日、ここまで)

(110-2)「展開された相対的価値形態の欠陥は、それに対応する等価形態に反映する。ここでは、各個の商品種類の自然形態が、無数の他の特殊的等価形態とならぶ一つの特殊的等価形態であるから、およそ実存しているのは、ただ、互いに排除しあう制限された諸等価形態にすぎない。同じように、どの特殊的等価形態にも含まれている特定の具体的労働種類も、ただ、人間的労働の特殊的な、したがって、尽きることのない「不完全な」現象形態にすぎない。確かに」、人間的労働は、その完全な、または全体的な現象形態を、あの特殊的現象諸形態の総範囲のうちにもってはいる。しかし、その場合でも、人間的労働は、統一的現象形態をもっていない。」
   相対的価値形態は個々ばらばらな特殊的等価形態によって表現されていますので、完結しないのでした。この欠陥は価値体として相対的価値形態に対応する等価形態に影響します。およそ等価形態はその自然形態で、感性的な姿で対応するのでした。つまり等価形態にある商品は個々ばらばらな姿をしています。このことが意味するのは、実は既に別項で述べているのですが、諸等価形態は相互に何らの関係もなく「互いに排除しあう制限された諸等価形態にすぎない」のです。諸等価形態に現われる人間労働も、したがって統一的な現象形態を持ちえません。

 次は第Ⅱ形態から第Ⅲ形態への移行の文章です。
(110-9)「とはいえ、展開された相対的価値形態は、簡単な価値表現の、すなわち第Ⅰの形態の諸等式の総計からなっているものにほかならない、たとえば」として
   初めにあげた表現3を参照のこと
(110ー14)「ところが、これらの等式はどれも、逆の関連ではまた次のような同じ等式を含んでいる。すなわち」
   1着の上着     =20エレのリンネル
   10ポンドの茶    =20エレのリンネル
   40ポンドのコーヒー=20エレのリンネル
      以下続く
(111ー1)「実際、もしある人が彼のリンネルを他の多くの商品と交換し、それゆえ、リンネルの価値を一連の他の商品で表現するとすれば、必然的に、他の多くの商品所有者もまた彼らの商品で交換しなければならず、それゆえ、彼らのさまざまな商品の価値をリンネルと交換しなければならず、それゆえ、彼らのさまざまな商品の価値を同じ第三の商品で、すなわちリンネルで表現しなければならない。-こうして、表現2 という列を逆にすれば、すなわちこの列に事実上含まれている逆の関連を表現すれば、次の形態が得られる。」として
   1着の上着
   10ポンドの茶
   40ポンドのコーヒー   =20エレのリンネル
   1クォーターの小麦
   2オンスの金    
 この表現をあげ、第Ⅲ形態に移るのです。

第Ⅱ形態を一応終わります。

但し、2012年の講座では中川先生より、この第Ⅱ形態から第Ⅲ形態への移行には前に説明されたことと齟齬をきたしていると指摘がありました。今それを理解しようと、あるいはその指摘は間違いではないかと思案中です。書けるようになりましたら紹介したいと思います。


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