3月7日 資本論第一章、商品に思い悩む? [資本論番外編]

 今日は仕事が休みでしたので、確定申告に行って来ました。e-taxとかネットで申告が出来るそうで、しばらく前から早くやらなきゃな、と思いつつ、ようやくe-taxにアクセスしてみたのです。すると個人認証の手続き方法などと書いてある、こりゃ面倒ということで、書類一式を持って手続きを済ませてきました。これでようやく気にかかることがなくなり、ブログ更新もこれから順調かな、と思います。

 さて、資本論です。次回講座は山口先生、第3節・価値形態論と第4節・物神性論を通して講義する、と言っていました。物神性論は前から読んでいるところですが、何故、これが第一章・商品で論じられるのか前々から疑問だったのです。そもそも何を課題にしているのか分からなかったし! でも第3節と第4節を通して、と聞いたとき、物神性論の初めで「商品の不思議さ、奇妙さ」とマルクスが言うとき、それは価値形態論での、等価形態が使用価値に姿で価値を表わす不思議さ、あるいは転倒という事ではないのか、さかのぼれば第1節、第2節とも大いに関係のあることであり、第4節は優れて第一章の纏めなのだと気が付いてきました。第4節では①商品の奇妙さの指摘、②商品の奇妙さの原因は商品形態にあること、③入れ替わりの仕組み、④商品生産は歴史的なものであり、他の段階ではみられない、⑤古典派経済学の欠陥の指摘、など大づかみに纏めてみたところです。

 昨年度の講座の感想文として私は、「資本論は巨大な書物」と書きました。それは先行の経済学者を全て研究し尽くした事、それを聖書やシェークスピアの作品で、豊かに表現していることに対してでした。加えて、叙述が階層構造のように見えること、本質と現象を厳密に区別、それもかなり深いレベルでしていることも特徴のようです。この点により一層注意を払って読んでいこうと思います。もう一つ、時として一つの文に、様々な内容を緻密に書き込んでいるのではないか、と思われるのです。例えば冒頭の文章でも、「富」、「商品の巨大な集まり」、「現われ」、これらの言葉から、マルクスは何を掴んでくれというのでしょう。富=商品の巨大な集まり、といった単純なものではないような??? 


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