資本論を読み始めます! [資本論]

またまた更新が遅くなってしまいました。よっこらしょ! と始める事にします。言い訳すると仕事や、趣味の山のことで悩ましい事が山積していること、又私のブタ小屋(部屋)がとても「学習」という雰囲気で無かったことに起因しています。linux関係の雑誌、そして古い前衛や経済を泣く泣く捨てました。まだ削ぎ落とすコト、モノがありますがようやく部屋の雰囲気を変えることが出来ました。という訳で今日は!

資本論第一部 資本の生産過程 第一編 商品と貨幣 第一章 商品 第一節 商品の二つの要因

「資本主義的生産様式が支配的に行なわれている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現われ、一つ一つの商品は、その富の基本形体として現われる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。」

#有名な文章ですね! マルクスがこの出だしを考え付くまで数十年に渡る研究があったと想うと! ちょっと感動! 又ご承知の通り巷には限りなく「商品」が溢れています。コンビニ、百均、(私の生活水準がわかるでしょ!) 売れ残るのではないかと他人ながら心配してしまうほどです。それにクズ債権まで「商品」になってしまう、例のCDSと言う奴。そしてこのブログのように「商品」を売るための広告収入で私達に「無料」で提供されています。いずれ出てくるように「商品」は「命がけの飛躍」をしなければならない。「商品」は資本主義的生産様式の「細胞形態」だと思います。

「物がどのようにして人間の欲望を満足させるか、直接に生活手段として、すなわち愛用の対象としてか、それとも回り道をして、生産手段としてかということも、問題ではない。・・・ある一つの物の有用性はそのものを使用価値にする。・・・商品体のこのような性格は、その使用属性の取得が人間に費やさせる労働の多少にはかかわりがない。 ・・・使用価値は、富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。われわれが考察しようとしている社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている、交換価値の。」

#あらゆる生命体の細胞一つ一つにはご承知のとおりDNAの二重螺旋が含まれており、生命体を形作る情報が書き込まれていると言います。商品の二つの要因の一方(DNAの一方)、「使用価値」は人間の歴史貫通的な価値ですね。まず人間は生命維持と子孫を残すために食べなければなりません。歴史の発達につれ着る物や住まいを発達させて来ました。 衣住も人間の大事な使用価値です。このことを強調しておいた方が良いと思います。しかし私達が住む資本主義社会ではそうした使用価値の多くを商品として買わなければなりません。時々テレビ番組で「自給自足生活」を送る方の紹介がされることがありますが、その人たちでさえ生活を支えるために現金を稼ぎ、足りない使用価値を商品として買っています。と言うわけでマルクスは上記の文書のように資本主義社会での「交換価値」について分析を進めます。

今回はここまでです。第一節を終わろうと思っていたのですが、次回ということで!! 又「 」で括られた分は資本論の本文。そして’#’で始まる部分は私のコメントです。

こんな調子で書き続けようと思いますので皆さんよろしく

 


資本論 未だ序文も終わらない [資本論]

昨日、資本論の序文を読み終えると宣言しましたが、未だ終わりません。第一版序文(マルクス)、第二版後記(マルクス)、フランス語版序文および後記(マルクス)。ここまで読了しました。次は第三版へ(エンゲルス)、英語版序文(エンゲルス)、第四版へ(エンゲルス)を読み終えると、ようやく本文に取り組めます。ちなみに利用している本は大月書店の第5刷(1970年4月)で大内兵衛、細川嘉六監訳ですが、以前何度か読んだ文章に又接して懐かしい思いがします。

曰く、「私が予想している読者は、何か新しいことを学ぼうとし、したがってまた自分自身の頭で考えようとする人々なのである」 第一版序文。

第一版序文は研究の対象は資本主義的生産様式であること、 初めの価値形態に関する一節が難しく感ずるであろう事、社会構成体の発展を自然史的過程と考えるマルクスの考え方が述べられています。他にもあるけど! 先の文章は読者の覚悟を促しているようです。

第二版後記は第一版との変更点から始まり、イギリス、フランス、ドイツの歴史の不均等発展からの経済学の違いに触れると共に、批判や評判について書いてあり、これも又当時の雰囲気が感じられ興味深いものです。

そしてフランス語版序文および後記には有名な?文章があります。「学問には平坦な大道はありません。そして学問の険しい坂道をよじのぼる労苦をいとわないものだけに、その明るい頂上にたどりつく見込みがあるのです」 絶対たどりつくのではなく見込みなんですね~。 しかし又読まないことにはどうしようもない。

今日のところはこれでおしまい!!


もう一度初めから [資本論]

学生時代に「資本論」の原書に取り組んだものの、その後は様々な解説書を時折読んできたに過ぎない。それらは良書だとは思うが、それらは原書の脇において読むべきものだと思う。そこで一念発起、今日から資本論第一巻に取り組もう。というわけでまず、序文の類を読んでしまうつもりです。感想は次回! ということで

カール・マルクス著「資本論」学習 [資本論]

雑誌「経済」11月号を買った。扉に「資本論」講読運動が世界で広がっていることが紹介されている。ドイツでは「ローザ・ルクセンブルグ財団」が毎年、1年単位の資本論講読ゼミを2006年から行なっている。イギリスではキングス・カレッジの有志グループが「資本論講読運動」を組織している。アメリカではニューヨーク市立大学のデヴィッド・ハーヴェイ教授と協力者がビデオ講義をまとめた「資本論第1巻精読」をYouTubeで公開し、各国語版字幕付きに編集する作業を行なっているとのことである。

私も最近、このデヴィッド・ハーヴェイさんのMarx's Capitalの日本語訳、「資本論入門」を買って読み始めたところである。学生時代に経済原論を志し、ゼミで資本論を読んだ記憶が蘇り、嬉しい時を過ごしている。又この「資本論入門」の解説が以前学んだことと変わらないことに安心感を覚えている。

先に「嬉しい時を過ごしている」と書いた。だが現実は、東北の大震災からの復興をどう図るのか? 又福島第一原子力発電所の事故が投げかけた様々な問題をどう解決していくのか、という問題意識抜きに読んだら単なる「訓詁学」に終わってしまう事は自覚しているつもりである。

今も元福島県議会議員のブログをみたが東京電力の誠意の無さを告発していた。こうしたことが何故おこるのか? 東電の「全面賠償」をどうしたら勝ち取れるのか? このことを常に念頭において資本論を読んで行きたい。


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