3月17日 サラの鍵 [映画]

 今日は久しぶりに心を揺さぶられる映画を見ました。第二次大戦中のフランスを背景にした映画です。戦争映画のジャンルに入るのでしょうか? しかし戦闘場面は一切ありません。戦争に翻弄される一般庶民、とくにユダヤ人の悲惨を描いたものです。この「サラの鍵」は、ある朝、強制収容所に連行されるユダヤ人一家から始まります。ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件として知られる、フランス警察が自国民であるユダヤ系フランス人をパリの競輪場に大量留置し、次々とナチスの強制収容所に送った事件です。大戦後、フランス政府は、事件当時のヴィシー政権をドイツの傀儡として、一切責任を認めませんでした。

 この事件を全面的に扱った映画に「黄色い星の子供たち」(2010年)があります。ジャン・レノ、メラニー・ロラン出演の映画で、日を改めて紹介できれば、と思います。さて「サラの鍵」(2010年)です。2006年発表の小説に基いており、フィクションと言えるでしょう。

 ジュリアはアメリカ人ジャーナリスト、フランス人と結婚し、パリで生活しています。夫の祖父母から譲りうけたパリのアパートを改装中です。そこで大戦中にそのアパートに住んでいたユダヤ人家族が、先の大量検挙事件で逮捕されていた事を知ります。その家族に興味をもったジュリアは家族がどうなったか調査を始めます。

 そのジュリアの行動と、ユダヤ人一家の運命、一家の娘のサラの脱走後の運命が映画では交錯して描かれます。妊娠したにも関わらず、中絶を夫に迫られるジュリアでしたが、悩みながらも諦めずに調査を進めていきます。対してサラの方は一つの鍵を大事に持ち、必死の逃避行をします。途中哀れに思った農民夫婦に助けられ、鍵を持ってかつてのアパートに向かうのでした。そして持っていた鍵で扉を開けたサラがそこで見たものは??

 戦後、サラがどうなったか、先の農民夫婦と暮らしますが!! ジュリアの執念の追跡も続きます。サラがアパートにたどり着いたとき、そのアパートに住んでいた子供がジュリアの義理の父でした。そして??

 この映画を見て、私も如何に戦争を知らないかを思い知らされました。サラが受けた心の傷、調べるほどに傷ついていくジュリア、そして夫に反対され、また高齢にも関わらず出産するジュリア。人間が生きるとはどういう事かを深く教えてくれる映画です。

 最後のシーン、かつて「過去をほじくり返すのは止めろ」と言ったサラの息子ウィリアムが、ジュリアを訪ねてきます。父から全てを聞いて、ジュリアに謝罪と礼を言うためでしょう。既にジュリアは娘を生んでいましたが、ウィリアムが名前を聞きます。少しの間があって、ジュリアがおずおずと答えます。「サラ」と。

 ジュリアを演じたのは、「イングリッシュ・ペイシェント」「モンタナの風に吹かれて」のクリスティン・スコット=トーマス。フランス語が堪能なイギリス出身の女優、知的で美しい方です。


2月26日 デヴィッド・ハーヴェイ教授の「新自由主義」を読んでいて [映画]

 銭湯の帰りに一杯やりながら、デヴィッド・ハーヴェイ教授の「新自由主義」を読みました。読書の中心は資本論だから、この本を開くのは久しぶりです。専門的なこともあり、又翻訳書にありがちな分かりにくさがあり、ゆっくりと読んでいるのです。第二章の同意形成のところ、アメリカに続いてイギリスの場合の新自由主義の導入のため、国民の中にどのようにしてその同意を形成したか、という歴史的な叙述です。

 サッチャー首相の時代、イギリスでは石炭産業は国営だったのですね。同意形成の歴史の中でサッチャーの炭鉱労働組合つぶしの話が出てきました。そこで1996年のイギリス映画「ブラス」を思い出したのです。炭鉱の閉鎖でゆれる小さな町で、戦う労働組合、高額の退職金を提示されて心がゆれる者、そうした苦悩と緊張が漂う町のなかで活動する炭鉱労働者で作るブラスバンドの話です。当時の貸しビデオ店で人気のビデオで中々借りることが出来ませんでした。音楽と生きることの素晴らしさ、そのほろ苦さを含めて描いた秀作です。ちなみに映画で音楽を担当したのは実際の炭鉱労働者バンド「グライムソープ・コリアリー・バンド」で、ブラスバンドって、こんなに素敵だったのか? と思わせてくれます。例えばギターの曲で有名なアランフェス・コンチェルトが素晴らしい。この場面、今でもYoutubeで見ることが出来ます。尚、このバンドのホームページもあります。勿論英語ですけど。

 

 もう一つ、ハーヴェイ教授の本には、「国際競争は1980年代に多くの伝統的なイギリス産業を破壊した。シェフィールドの鉄鋼産業・・・」とあります。このシェフィールドの元鉄鋼労働者、今失業者を登場人物として、1997年に「フルモンティ」が製作されています。こちらは大分羽目をはずした映画で、デブ、老人、やせっぽち(失礼、差別用語かな?)など殆ど舞台には立てない面々が、金儲けをしようと(本当はもっと切実な問題なのですが)男性ストリップショーたくらむというお話。それぞれ妻には秘密に練習に励むのです。そのメンバーの中には、面子から妻に首を切られたことを言い出せないまま、職安通いをしている元管理職がいますが、身につまされるお話です。
 どちらの映画も、主人公たちはそれぞれ複雑な背景を持ちながら、破綻の危機を乗り越え団結していきます。又回りの人々の役割も秀逸、特に「フルモンティ」では主人公の息子が面白い。最後の最後で主人公の父親がびびっているのに業を煮やし「行ってこいよ! 男だろ」なんて言うんですから。両映画とも、最後は観客の拍手に包まれるのです。「ブラス」はロイヤル・アルバート・ホール、「フルモンティ」は町の小さな劇場で。 「ブラス」は泣けます。ですからタオルを持って、「フルモンティ」も泣けます。こちらは笑い泣きになります。

 アー! 映画ってホントに良いですね! それでは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ


2月6日 資本論精読の予定がついつい! [映画]

 大好きなグレゴリー・ペック主演の「アラバマ物語」を見てしまった。つい涙を流してしまう。1962年製作の映画ですが、こういう映画こそ、様々な暴力のはびこる現代日本、心ある方々に是非見てほしい。後日感想を書かなければ!

 その資本論精読は、商品の物神的性格とその秘密の途中です。価値形態論の第Ⅱ形態読解については、明日完成させる予定です。もっとも疑問が次々と出てきてはいるのですが?


9月7日 映画「アレクサンドリア」 [映画]

今、9月7日午後7時です。本当は、記事を書く余裕は無いはずなのです。というのも相方孝行で、明日早朝、八ヶ岳に行くはずだったので、本来ならその準備をしているはずなのです。が、天候が思わしくなく、相方は中止したいと言ってきました。登山は多少の雨でも現地に行くことが大切と、私は考えています。天候不順の予報でも(大それた天候で無い限り)行ってみたらそこそこの天気だったりします。山は意外な表情を見せてくれるし、そうした思い出の方が強く残るものなのです。
 ですが、相方は戦意喪失、これでは諦めざるを得ません。10月後半か、11月初旬に谷川岳あたりに行こうと約束して、今回は見送ることにしました。

 そこでしばらく前から書いていた、映画「アレクサンドリア」の評を書くことにしました。

映画 アレクサンドリア(原題AGORA)

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 WOWOWから録画しておいた、映画「アレクダンドリア」を見ました。2009年のスペインの映画です。昨年見たフランス映画「コンサート」もそうでしたが、見るまではどんな映画か全くわかりませんでした。ですがとても良い映画でした。今回は、あらすじではなく、言わば骨子ということで書いてみようと思います。

主人公と舞台
 紀元4世紀、ローマ帝国の一角、今のエジプトのナイル河河口にある都市、アレクサンドリアが舞台です。その時代の知識の宝庫、アレクサンドリア図書館の館長テオンの娘、ヒュパティアの物語です。彼女は天文学を教える教師であり、弟子達に敬愛される美しい女性でした。騒乱の際にも、彼女は宗教の別なく、弟子達を守ろうとします。
 そしてヒュパティアは公認のプトレマイオスの天動説に疑問を感じ、埋もれていたアリスタルコスの地動説を研究するのでした。

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 時代背景とヒュパティア
 ローマ帝国においてのキリスト教の勃興期です。多神教のような古代の宗教、ユダヤ教との対立が激化する時期です。ローマ皇帝みずからキリスト教徒になり、それ以外の宗教が弾圧・迫害を受けます。その教えとヒュパティアの精神が対立を深め、ヒュパティアは死に追いやられます。その前にアレクサンドリア図書館は破壊されます。

 二人の男性の思い
 ヒュパティアに思いをよせる二人の男性の苦悩が描かれます。一人は奴隷のダオス、もう一人はヒュパティアの教え子のオレステス、共にキリスト教に改宗します。ダオスはその身分から、思いを表わすことは出来ず、オレステスは公式の場で愛を告白しますが、ヒュパティアの研究に没頭したいと言う意志の前に、思いを遂げる事が出来ません。そして二人とも自身の信仰と、ヒュパティアへの愛の間で、板ばさみになります。

ヒュパティアの死
 肝心なところでネタバレです。ヒュパティアの死の場面、キリスト教強硬派になっていた奴隷のダオスは、投石による拷問のような死を与えるにしのびず、ヒュパティアの口と鼻を塞ぎ、窒息死させるのです。ヒュパティアも覚悟を決めていたのでした。

 見終わって、とても感動したので、映画の公式サイトを見て、ビックリ!! ヒュパティアは実在の人物だったのです。 Wikipediaを見てみると、生没年、紀元370年~415年、新プラトン派の哲学者で数学者、天文学者だったとありました。その死については、投石ではなく、カキの貝殻で肉を骨から削ぎ落とされる、という残虐なものだったそうです。
 またアレクサンドリア図書館はテオンをもって最後の館長とし、その知の殿堂としての歴史を閉じます。ヒュパティアの虐殺によって、自由な研究態度が奪われたのでした。

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後世の画家が描いたヒュパティア


 キリスト教は、布教の初めにはローマ帝国では禁止されており、他の宗教が多数、認められていたといいます。ところがローマ皇帝自身がキリスト教徒になると、それまでの宗教が禁止され、キリスト教のみ公認されました。
 映画を見ると、キリスト教は奴隷や貧民の間で広まったようです。ヒュパティアの、おそらく貴族としての言動が、ダオスを傷つける場面があって、一瞬画面が緊張します。時代表現の一つでしょう。この時代の階級構成を知らないので、機会があれば調べてみたいものです。また当然、ローマ皇帝には帝国支配の思惑が働いていたことでしょう。

 数学の世界で名の知られた、ディオファントスの「算術」は13巻の内、6巻しか残っていないとされています。ヒュパティアもこれに加筆しているそうです。おそらく映画に描かれている、図書館破壊の際に失われたのでしょうか? それでも近世になってヨーロッパの偉大な数学者達によって研究され、近世数学の隆盛を生みました。

 この映画評をブログで書いている方が多いのですが、映画以前にヒュパティアに興味を持って記事にしている方もいらっしゃいました。そんなに有名な人だったのですね。調べてみたら、J.D.バナールの「歴史における科学」にも簡単な記述がありました。
曰く「邪悪な学問から神聖な無知へのアウグスティヌスとアンプロシウスの行なった転身は、最後のギリシャ数学者の一人ヒパティアを石責めにした僧侶の率いる暴徒と同じ運動の一環であった」と。

 Wikipediaによると、天体観測のための観測儀や液体比重計を発明したそうです。ずば抜けて頭の良い人だったのですね。 時々考えるのですが、望遠鏡も無い時代、裸眼で毎夜、星を見つめて、その動きを観測する、翌日の夜、又目指す星を同定して観測を継続するとは、並の熱心さでないな、と思うのです。
 科学ジャーナリスト、イギリスのサイモン・シンと言う人が「ビッグ・バン宇宙論」という大衆向けの、わかりやすい本を書いています。それを読むと、天動説を主張する当時の天文学者も、観測を旨としていました。キリスト教が、それを「神のご意志」として権威付けたのでしょう。後にガリレオ・ガリレイが1000年以上立っても迫害にあったことは、よく知られた話です。ローマ教皇庁がその誤りを認めたのは、さらに350年後の1965年のことでした。

 さて映画に戻ります。

登場人物と俳優
 ヒュパティア(実在の人物)  :レイチェル・ワイズ
   イギリス出身の女優、1970年生まれ、2000年の「スターリングラード」で初めて知りまし
   た。ほんとに知的で美しい女優さんですね。
   ヒュパティアの次の言葉が残っています。
   「考える貴方の権利を保有して下さい。なぜなら、まったく考えないことよりは、誤ったこと
   も考えていさえすればそれで良いのです」
   「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」
 テオン(実在の人物)    :マイケル・ロンズデール
   懐かしい俳優です。「ジャッカルの日」のルベル警視です。無口で実務家肌に見えて、
   大胆な行動をする警視役がはまっていました。フランス出身、1931年生まれの81歳! 
   テオンは、自身が賛成したキリスト教徒に対する制裁を加える争いの中で、重傷を
   負い、死に至ります。
 オレステス(実在の人物)  :オスカー・アイザック
   1980年、グアテマラで生まれ、アメリカで育った、新進気鋭の俳優、「ロビン・フッド」では
   傲慢で嫌味たっぷりのジョン王を演じていました。あまりに今回の役柄と違うので、確かめ
   てみるまで同一俳優とはわかりませんでした。今後が楽しみな俳優です。
   オレステスはアレクサンドリアの長官になりますが、総主教、キュリロスの「女は男に従うべ
   し、これが神のご意志だ。皆聖書の前にひざまづけ」という指示に、最後まで抵抗します。
   しかし、シュネシオスの説得の前に、泣きながら屈してしまうのです。
 ダオス(架空の人物)    :マックス・ミンゲラ
   姓を見て一発で素性の分かる若手俳優、亡くなったアンソニー・ミンゲラ監督(イングリッ
   シュ・ペイシェント)の息子さんです。1985年生まれ、イギリスの俳優です。母親が香港
   出身とのこと、親しみの持てる顔立ちをしています。役柄として一番難しい役だと思いま
   すが、立派に演じています。
   奴隷としてヒュパティアの世話をすると共に、講義では助手を勤め、周転円(Wikiないし、
   前記「ビッグ・バン宇宙論」参照の事)を模した模型を作り、ヒュパティアに褒められます。
   一方で奴隷を卑下するヒュパティアの言葉に傷つきます。

他にもアレクサンドリアの総主教になるキュリロス、別の都市で主教になるシュネシオス等、脇役でありながら、重要な役柄があります。この登場人物も、全てWikiに掲載される、実在の人物でした。

 これらの俳優の皆さんには、アレクサンドリアのような良い映画に出つづけて欲しいと、切に願います。間違ってもレイフ・ファインズのような名優が、ヴォルデモート郷なる人物(?)を演ずるような真似をしてほしくないですね。ハリー・ポッターファンの皆さんご免なさい。
 

 

 


映画'オーケストラ'に感動 [映画]

フランス映画「オーケストラ」(原題:Le Concert) を見ました。オーケストラになりすます、というWOWOWの紹介文に興味を示して単純にテレビのHDDに録画しました。このテレビはHDD、Blu-Rayプレイヤーの一体型で簡単に録画できるので見境もなく様々な番組を録画していました。それを整理・削除しようとしたときに、この映画を見たのでした。そのとき整理することも忘れてドンドン引き込まれていったのです。(以下ネタバレだらけです)

ボリショイ劇場の清掃員アンドレイ、30年前にあることが原因で清掃員となったが、実はボリショイ・オーケストラの天才と言われた主席指揮者でした。今はその職を追われ支配人にこき使われる毎日を過ごしています。ある日支配人の部屋を清掃している時にFAXが入ります。パリ、シャトレ座の劇場支配人からの出演依頼だったのです。

この依頼をボリショイの支配人に知らせることなく、彼は突拍子もないアイデアを思いつくのでした。同じように解雇された楽団員たちを集めてオーケストラを再結集しパリに乗り込もうと。このアイデアをチェロ奏者だったサーシャに打ち明けます。彼の今の仕事は救急車の運転手、その救急車でかつての楽団員を訪ねて廻りますが、かつての仲間たちはたくましく生きていました。タクシーの運転手、博物館の学芸員、市場の店員、はてはポルノ・ビデオの音楽担当等など。極めつけがロマ(ジプシー)の頭領!! この頭領、なんとかつてのオーケストラのコンサート・マスターです。

夜、アンドレイは物入れの中を探り、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲の楽譜を取り出します。パリでこれを演奏するのだと。又、一人の美しいバイオリニストのCDに見入るのでした。

 アンドレイは彼のコンサートを潰した経歴を持つ、かつてのボリショイ劇場支配人で共産党員のイワンにマネージャーを頼みます。フランス語ができるイワンに頼む以外に無かったのでした。イワンはイワンで共産党のかつての栄光を取り戻そうという別の目論見があり引き受けたのです。イワンは翌日アンドレイやサーシャと共にシャトレ座の支配人、デュプレシに電話しますが、そこは汚いボリショイ劇場の地下、一方のデュプレシは明るく清潔な支配人室、この対象がなんともおもしろい。協奏曲のソリストを問われアンドレイは実力派のアンヌ=マリー・ジャケを指名するのでした。

渡航費を工面し、時間が無い中、空港でビザを偽造する始末。パリについてもかつての楽団員たちは自分の商売に繰り出すドタバタを演じ、リハーサルに姿を現しません。一方のアンドレイは打ち合わせを兼ねてアンヌ=マリーと食事を共にします。アンドレイがチャイコフスキーのバイオリン協奏曲にかける思いを、かつての不幸な経験を交えて(その内容故にウォッカを相当飲みながら)アンヌ=マリーに打ち明けます。それにショックを受けたアンヌ=マリーは共演を辞退してしまうのでした。

それを聞いたサーシャは翌日、アンヌ=マリーを訪ね再度共演を依頼するのですがアンヌ=マリーを翻意させる事が出来ず立ち去ります。「共演すればご両親のぬくもりが感じられるだろう」という謎の言葉を残して。アンドレイがアンヌ=マリーに惚れ込んだ理由の謎、サーシャの不思議な言葉にも関わらず、長年映画を見てきて伏線に気がつくはずの私にもうっかり気がつかなかった重要な場面でした。

この事態にアンヌ=マリーの育ての親でもありマネージャーのギレーヌが、共演を引き受けなさいという手紙を残して姿を消します。レアというソリストが残した協奏曲の楽譜を残して。

コンサート当日、楽団員はパリでの内職でなかなか集まりません。そしてイワンもフランス共産党の大会に出席して演説をするべくシャトレ座を出ようとします。そうしたイワンとアンドレイは口論になります。アンドレイは「お前はエゴイストだ」と批難するイワンに向かって言います。「違った人々が違った楽器を持ち寄って一つの目標、コンサートの成功を目指すことこそ共産主義ではないか」と諭すのです。

いよいよコンサートが始まりますが、30年ものブランクのせいで序奏は惨憺たるもの、観客は訝しげ、支配人のデュプレシは頭を抱え、アンヌ=マリーも怒った表情です。しかしあのドキドキするヴァイオリンの独奏が始まると楽団員たちの顔つきが変わります。「あー、あの時そのままだ」とでも言うように。アンヌ=マリーもその変化に気づきます。他のブログでも絶賛されているこの映画最後の12分間です。ここでソ連共産党=ブレジネフによるユダヤ人迫害でコンサートを潰されたこと、ユダヤ人だったレアとイツハクの夫婦がシベリアに送られそこで死んだこと、レアがアンヌ=マリーの実の母であること(これを書きながら又涙が出てしまいます)がモンタージュされます。演奏中のアンヌ=マリーもそれに気がついていきます。潰されたコンサートの場面、レアの演奏姿が実に美しい、自信、気品、自分の演奏にうっとりしている姿です。そしてシベリアに送られてからもこの曲が忘れられずヴァイオリンを弾く真似をする痛々しさ! この場面では未来の彼らもモンタージュされています。一流オーケストラとなって世界各地を廻る姿。長い迫害の歴史を乗り越え自信を得た彼らが映し出されます。

最後までヴァイオリンとオーケストラの緊張感のある掛け合いが続くこの曲も最終番、アンドレイはタクトを振り終えます。観客はうちにしまっていた興奮を吐き出すように「ブラボー」の声、アンドレイがアンヌ=マリーに顔を向けると彼女は滂沱の涙です。アンドレイは政治状況が許さない中、ユダヤ人を交えたコンサートを強行した自分がレアとイツハクを殺したのだという思いが少しは軽くなったでしょう。おずおずと彼女を抱きしめるのでした。

とにかく最後の12分間には圧倒されます。 まずは37~38分ある原曲をわずか12分に切れ目無く縮めた音楽監督アルマン・アマールの力量に感心します。又すでにある音楽にぴったりの映像を組み込んでいく監督の力量、哀愁を帯びた音楽にシベリア抑留の場面を合わせる等などです。アルマン・アマールはチャイコフスキーを切り縮める事に罪を感じ、監督は監督で劇中劇を新に作らなければならないことに夜も眠れなかったと言います。

又この曲を実際に弾いた人はフランス国立管弦楽団のSarah Nemtanu という主席ヴァイオリニストです。次のURLで演奏を見ることが出来ます。http://www.youtube.com/watch?v=8MIeMmigDeE&feature=relmf ラデュ監督と共に出演の番組で協奏曲の出だしから途中までの演奏です。

又ロマのヴァシリを演じた人は本物の演奏家でジプシー楽団、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスのCaliu Angel Gheorghe という人です。両方ともCDを買わなければと思っています。

映画の中のサーシャの台詞ではありませんが、この協奏曲が何時も私の頭の中で鳴り響いています。パリでも公開されて以降、この曲のCDが沢山売れたとのことですが私も庄司沙矢香さん演奏のCDを買った次第。まるでチャイコフスキーが現代に蘇りこの映画のために協奏曲を書いたように思われるのです。

実は私が未だ中学生だった頃、チャイコフスキーのピアノ協奏曲のレコードを毎日のように聞いていました。貧乏だったので小さなプレイヤーでしたが、トスカニーニ指揮、ルビンシュテインのピアノ演奏のものでした。後年アシュケナージのピアノ演奏でのコンサートを聞く機会がありましたが、レコードとのあまりの違いにがっくりきた覚えがあります。演奏家の解釈でクラシック演奏は如何様にも変わることを知らなかったのです。庄司沙矢香さんの演奏も素晴らしいのですが、サラ・ネムタヌさんの演奏に感じられる力強さ、情熱には一歩及ばない気がしました。映画の中のサラさんの演奏には一部音がはっきりしないところがありますが、それすら聞くものを納得させずには置かない迫力と音に艶やかさがあります。

ソビエト連邦崩壊からもう20年が立とうとしています。社会主義とは似ても似つかない、内には国民弾圧、外には各国共産党に対する買収と服従を強いる政策で、映画に出てくるフランス共産党もそれに戦前から迷走させられました。かつてイヴ・モンタンやパヴロ・ピカソ、エリック・サティ、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴンといった知識人を引きつけ、(確か若き日のホー・チ・ミンもいましたね)ナチスに対するレジスタンスで国民の信頼を獲得した党、ミッテランのフランス社会党と共同政府綱領を結び、国の変革に期待を持たせ、イタリアやスペインの党と共にユーロ・コミュニズムを先導した党は今や見る影も無さそうです。EU諸国が偽りの「財政危機」に喘ぐなか、出番は今だと思うのですが、頑張って欲しいものです。

そう言えばこの映画のドタバタ場面で描かれるロシアの今は、ソ連崩壊後に台頭したマフィアと成金が支配している、そうした現実も描かれていると言えなくもありません。世界恐慌はくるのかといった危機の時代を迎えています。そうした背景に思いを馳せつつこの映画を見ることをお勧めしたいと思います。

  • 脚本・監督:ラデュ・ミヘイレアニュ ルーマニアからの亡命経験を持つ、父親も共産主義者でナチの強制収容所からの脱走経験があるという。
  • 音楽:アルマン・アマール
  • アンドレイ・フィリポフ:セルゲイ・グシュコフ
  • アンヌ=マリー・ジャケ:メラニー・ロラン 
  • オリヴィエ・デュプレシ:フランソワ・ベルレアン
  • サーシャ・グロスマン:ドミトリー・ナザロフ
  • ギレーヌ・ドゥ・ラ・リヴィエール:ミュウ=ミュウ
  • イワン・ガヴリーロフ:ヴァレリー・バリノフ
  • イリーナ・フィリポア:アンナ・カメンコヴァ

 

 

 

 


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